5月7日(土)NACK5「SPO-NOW」の

コラムコーナー「聖’sフォーカス」でお話した内容を載せます。

※一部、放送と違う表現もあります。ご了承下さい。

このゴールデンウィーク、僕は、また初めてのスポーツに出会って来ました。

「日本・視覚障害 柔道連盟」による、リオデジャネイロ・パラリンピックの

柔道・日本代表選考大会です。

場所は、柔道の総本山である東京・文京区の「講道館」。

僕が事前に持っていた知識は、この大会で各階級を制した選手が

リオに推薦される「一発勝負」であるという事。そして、

ルールでは健常者の柔道と違って、視覚障害者の柔道は、両者が

お互いに組んでから「はじめ」の声がかかるという事です。

会場に行くと、中央の畳を囲んで四方に審判団と関係者、

そして報道陣が囲み、その報道陣の後ろで選手達が練習を行っていました。

この日、行われた階級は男女合わせて6つ。

渡された資料には、所属団体名や年齢と、柔道の段位、そして視力が

4段階で紹介されています。年齢は、下は18歳から上は53歳まで幅広く、

階級によっては、この日の決勝リーグの出場者が2人で絞られていて、

初戦で勝った方がリオの資格を得るという、文字通りの一発勝負もありました。

入場する際は審判が選手の腕を持ち、2人が組んだ状態から試合が始まります。

まず驚いたのは、「はじめ」の声と共に、激しく、スピーディーな技の応酬が

始まった事です。両者が組むまでの駆け引きが無いので、

いきなり勝負を決めにかかるんです。

その動きの速さは、とても目に障害があるようには感じません。

そして両者が離れると、主審が「待て」を宣告し、試合開始の位置に戻ります。

その時に、両肩を持たれて位置に戻る姿を見て、これが

視覚障害者の柔道なのだと思い出すほどです。

ルールで付け加えると、本来の「場外」の規定はありませんが、

線の外に近付くと審判が「場外!」と声をかけ、知らせます。

そして仲間のスタッフは「あと4分半」などと声をかけ、

選手はそれを頼りに戦います。1試合の時間は5分。

スコアが同じの場合は、時間無制限の延長戦に入る、

なかなかハードなルールです。

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この日、見事にリオへの推薦を獲得した

男子73キロ級・24歳の北園新光(きたぞの・あらみつ)選手が話していたのは、

健常者の柔道と違って試合開始から組むために、とにかく

ずっと力を入れていないといけないこと。

少しでも気を抜いたらやられる、という意識との戦いなのだそうです。

通常の柔道でもある事ですが、相手の表情を読めない分、

相手の柔道着を持った手に全ての感覚を集中するのでしょう。

そんな北園選手、、元々は健常者の柔道をしていました。

しかし、大学入学を前にした今から6年前、「網膜・色素・変性症」の診断を受け、

心が崩れるような感覚に襲われたと言います。

それでも、小さい頃から続けてきた柔道の縁で、

パラリンピックを目指してみないか、と誘いを受けメキメキと力を発揮。

診断からわずか2年後のロンドン・パラリンピックに出場し、

100キロ級で、初出場7位入賞の結果を残したのです。

北園選手はその後、大学の4年間で、グローバル社会での

「異なる価値観を持った人々」からも意見を聞き、理解する大切さ。

そして、意思の疎通を諦めない事の大切さを学んだと言います。

なかでも、ロンドン・パラリンピックの会場で満員の観客が、

選手へのリスペクトを込めた声援を送るのを聞いた時、

「もっとタフなコミュニケーションを身に付けたい」と思い、

今は視覚障害者の福祉財団で働きながら、選手として活動しています。

一方、今回の大会で、男子90キロ級で選出された

廣瀬悠(ひろせ・はるか)選手と、

同じく、女子57キロ級の廣瀬順子(じゅんこ)選手は、

昨年12月に結婚したパラ・アスリート夫婦です。

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今回は、見事、夫婦揃ってリオへの切符をつかみました。

この日、多くの取材陣に囲まれた二人は、笑顔を見せながらも、

はっきりと語りました。

「夫婦で出場するのは珍しい事だと思います。

皆さんに注目される間に、もっと良い結果を。

パラは、出場して終わりではなく、結果を残すことが全てだと思います。」

以前はパラリンピックでメダルを量産していた日本の柔道ですが、

北京とロンドンでは、ウズベキスタンやウクライナの台頭もあって

メダル1個に終わっています。

リオ、そして東京へとパラリンピックでも「お家芸復活」へ、期待しましょう!!