「親鸞と道元」そして「弔辞」
2010年12月13日
五木寛之さんの『親鸞』を読み終えて、間もないうちに見つけたこの本。
本との出会いには、不思議な縁を感じる事がある。
『親鸞と道元』という題から、宗教論に話が進むのかという
不安を持ちながら読みはじめたが、そうではなかった。
対話の中にあるテーマは、過去ではなく『現代』であるように感じた。
生まれてから死ぬまでがシステム化されてしまったような社会にあって、
今をどう生きるのか?どうやって死にたいか?を、
道元・親鸞の死生観から浮かび上がらせる。
対話なので、読んでいて話に入りやすい。
立松さんの急逝によって中断されてしまった対話集。
その中からは、『今』だけではない『未来』へのメッセージも聞こえてくる。
そんな文中にあって、五木さんが、ある人の経験談として
「若い頃、自分がいつか死ぬ事が恐ろしくて仕方がなかった」という話をしていた。
僕も幼少期、その経験を何度もしている。これについて、五木さんも立松さんも
「五十代、六十代になればあるけれども・・・」と意見が一致している。
この会話を読むまで、誰もが僕と同じ経験をしているものだと思っていた。
そんな事を考えながら本を読み終えると、この本に出会った。
文藝春秋の特別企画「弔辞」、人を想う気持ちが詰まった言葉。
赤塚不二夫さんへの弔辞を読んだ(というより語りかけた)タモリさんの
全文が読めるとあって、すぐに買った。これから、じっくり読みます。