志ん朝の走馬灯
2010年01月26日
読んだ本についてのブログは、書けば書くほど難しい事が分かってきた。
それは、読み終わった直後から、凄まじいスピードで感想の『鮮度』が落ちて行くことだ。
出来る事なら、読み終わった直後に書くのが良い。でも、中身が濃い本であればあるほど、
読んでいる最中に『今この瞬間の感想を残したい』と思う事もある。
テレ玉のニュースキャスターであり、アナウンサー仲間の中で
特に「落語を語れる」貴重なお友達である福原奈見さんに、とても興味深い本を借りた。
タイトルは「志ん朝の走馬灯」
この本の著者・京須偕充さんは、志ん朝さんが三十代の頃から
録音を担当するプロデューサーという立場で志ん朝さんと接している。
それは、高座やテレビで我々が知っている意外の一面を知ることになる。
僕が知っている志ん朝さんといえば、高級ふりかけ『錦松梅』のCMのイメージ。
その時は僕も小さかったので、落語へのイメージもはっきりしていなかったが、
落語に興味を持ち出して多くの噺を聞くようになり、
多くの噺家さんを知っていけばいくほど、志ん朝さんが噺家らしい噺家だったように感じる。
着物の似合う顔立ち、体形。そして伸びのある声・・・と、
これくらいの説明は僕にも出来るが、
この本の中での京須さんによる志ん朝さんの分析には舌を巻く。
それは多くの高座を聞いてきただけではなく、録音プロデューサーならではの分析がある。
だからこそ全盛期から晩年までの移り変わりや、
その日その日の出来を事細かに言葉に興す事が出来る。
仕事にストイックな一面と、何事も一筋縄ではいかないというもう一つの顔。
その裏にあるのは、自分がやるべき理由は分かっていても、やるからには
それなりのものを作らなくてはいけない・・・責任感ゆえの葛藤。
そして中でも食い入るように読んだのは、連続しての独演会を拒み続けた志ん朝さんを説得し
『志ん朝七夜』が生まれるまでの秘話。
事実でありながら、ドラマのような紆余曲折を経ていた事が手に取るように分かる。
そして、ドラマで言うところの『登場人物』が際だっているのだ。
志ん朝本人、志ん朝のマネージャー、劇場側の担当者、そしてプロデューサー・・・
それぞれの言い分をぶつけているように見えて、
かすかに見え隠れする共通のゴール。
そして、お互いの心情を理解しながらの駆け引きと葛藤。
実際の結果を知っている人が読んでも『この後、どうなる!?』と先を急ぎたくなってしまう。
これほどまでに一人を追い、一人を想った落語の本が他にあるのだろうか、と思った。