読んだ本についてのブログは、書けば書くほど難しい事が分かってきた。

それは、読み終わった直後から、凄まじいスピードで感想の『鮮度』が落ちて行くことだ。

 

出来る事なら、読み終わった直後に書くのが良い。でも、中身が濃い本であればあるほど、

読んでいる最中に『今この瞬間の感想を残したい』と思う事もある。

 

テレ玉のニュースキャスターであり、アナウンサー仲間の中で

特に「落語を語れる」貴重なお友達である福原奈見さんに、とても興味深い本を借りた。

タイトルは「志ん朝の走馬灯」

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この本の著者・京須偕充さんは、志ん朝さんが三十代の頃から

録音を担当するプロデューサーという立場で志ん朝さんと接している。

それは、高座やテレビで我々が知っている意外の一面を知ることになる。

僕が知っている志ん朝さんといえば、高級ふりかけ『錦松梅』のCMのイメージ。

その時は僕も小さかったので、落語へのイメージもはっきりしていなかったが、

落語に興味を持ち出して多くの噺を聞くようになり、

多くの噺家さんを知っていけばいくほど、志ん朝さんが噺家らしい噺家だったように感じる。

着物の似合う顔立ち、体形。そして伸びのある声・・・と、

これくらいの説明は僕にも出来るが、

この本の中での京須さんによる志ん朝さんの分析には舌を巻く。

 

それは多くの高座を聞いてきただけではなく、録音プロデューサーならではの分析がある。

だからこそ全盛期から晩年までの移り変わりや、

その日その日の出来を事細かに言葉に興す事が出来る。

 

仕事にストイックな一面と、何事も一筋縄ではいかないというもう一つの顔。

その裏にあるのは、自分がやるべき理由は分かっていても、やるからには

それなりのものを作らなくてはいけない・・・責任感ゆえの葛藤。

そして中でも食い入るように読んだのは、連続しての独演会を拒み続けた志ん朝さんを説得し

『志ん朝七夜』が生まれるまでの秘話。

 

事実でありながら、ドラマのような紆余曲折を経ていた事が手に取るように分かる。

そして、ドラマで言うところの『登場人物』が際だっているのだ。

志ん朝本人、志ん朝のマネージャー、劇場側の担当者、そしてプロデューサー・・・

それぞれの言い分をぶつけているように見えて、

かすかに見え隠れする共通のゴール。

 

そして、お互いの心情を理解しながらの駆け引きと葛藤。

実際の結果を知っている人が読んでも『この後、どうなる!?』と先を急ぎたくなってしまう。

 

これほどまでに一人を追い、一人を想った落語の本が他にあるのだろうか、と思った。