広島探訪?
2008年10月25日
意外にも、敷地の中に入れた広島市民球場。
しかも、バックスクリーンには、実際に試合をやっている時のように
選手の名前が映し出されていました。
1塁側(右側)には、まさに赤ヘル黄金時代のメンバーの名前。
山本浩二さんや衣笠さん。そして3塁側(左側)には、
平成になってからの広島・黄金時代のメンバーが名を連ねます。
でも・・・白抜きになっている部分には、見慣れない名前が・・・。
と思ったら、グラウンドの中には、何やらカップルらしき姿が。
どうも、このお2人は結婚式を控えたカップルらしく、
結婚式用のビデオ撮影をしていたんです。
なるほど、こういう形でも球場は役に立っているんですね。
さて、こちらは1塁側とライトスタンドを隔てるフェンス。
そこに、「津田プレート」の案内板が・・・。僕はすぐにピン
と来ました。
『あっ!!見られるんだ!!』
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そこから下に降りていくと、シーズン中には入れなかった、
1塁側のブルペンに進むことが出来ました。
目的は・・・。
この柱に飾られたプレート。広島ファンはもちろん、プロ野球ファンなら
誰もが知っている、名投手のプレートです。
その下には、花が供えられていました。
そのプレートの主は、広島で「炎のストッパー」と呼ばれ、
32歳の若さにして脳腫瘍で亡くなった津田恒美さん。
そのプレートが、今までブルペンに置かれていたのです。
投手交代の時にマウンドに向かう投手は、
このプレートに手を合わせて「津田さん、行ってきます」と
思いを伝えたそうです。
僕も小学生時代は、150キロを超すストレートで真っ向勝負する
津田投手に魅せられた一人で、津田さんについて書かれた
数々の本も持っています。そんな僕にとって、
津田さんのプレートに出会えた感動は、本当に忘れられないものになりました。
そして、津田さんの気持ちになって、グラウンドを見てみる。
こんな角度でグラウンドを見ながら、気持ちを高めていったんですね。
昭和から平成へ、数々の感動が生まれた球場、
行って良かったと、つくずく思いました。