お盆休み明けの月曜日の朝8時前。さぞや列車も混んでいると思ったら

意外と空いていた。3両編成の普通列車で信濃大町へ向かう。

車両は211系。少し前まで、関東の東海道線や高崎線・宇都宮線でも

走っていた車両である。

 

色も変わり、編成も短くなり、ドアの横に押しボタンも付き・・・、

変わったところも多いが、シューというドアの開閉音は独特だ。

信濃大町までの約1時間。いつもなら左手に広がる北アルプスの絶景を

存分に楽しみながら行くが、外は雨。さすがに景色は楽しめない。

ロングシートの端に座って何気なく車内を見渡していたら、いつの間にか寝ていた。

 

信濃大町の駅前に立つと、雨は強まっていた。

仕方ない。

覚悟を決めて、折りたたみ傘を広げる。

 

バキッ。

 

えっ?!マジで?!

 

このタイミングで傘の骨が折れた。

広がった傘が、半分だけ力なくしぼんでゆく。

 

帰れって事ですか?

本気で悩む。

 

駅の前の屋根の下を、20分ほど行ったり来たりした。

 

おそらく止まっていたタクシーの運転手は、僕を怪しい人と思っただろう。

 

結局、売店で700円の傘を買って、お墓参り。

折り畳みの傘は無し。

荷物が増えてしまった。トホホ。

 

でも、ここまで来ると、自分が試されているような気がしてくる。

体の半分近くが濡れながら、20分ほど歩いてお寺に到着。

お墓の周りの剪定は、お寺の方がしてくれていました。

 

その事のお礼をして、お土産を渡し、大急ぎでお墓参り完了。

あまりの雨で、ろうそくも線香も出番無し。

ご先祖様、ごめんなさい。

 

それでも、ここまで来た事で自分を褒めたい気持ちになった。

 

さ~てと、ゆっくり帰りますか。

 

信濃大町駅に戻る。

あとは、ひたすら鈍行を乗り継いで、東京まで帰るだけである。

 

あっ、言い忘れましたが、2日続けて青春18きっぷ使ってます。

当然です。

 

時刻表で次の列車の時間を見る。

1時間10分後?!けっこう空くんですね。

 

そんな事調べておけよ、と思われるかもしれないが、

こういう行き当たりばったりの旅が出来るのは、贅沢だと思いませんか。

 

時間に追われる生活をしていると、半日でも1日でも、

こういうのんびりしたペースで生きたいのです。

 

その弊害として、こうやって1時間のロスも起きますが。

 

待合室で座って待つ。

やけに人が多い。しかも、大きなリュックを背負っている。

 

きっと登山客なのだろう。ここ信濃大町は、立山黒部アルペンルートの

長野側の玄関口である。駅前から黒部方面へのバスが出ているのだ。

 

すぐに黒部行きのバスが駅前のロータリーに入ってきた。

しかし、待合室の人は動かない。

 

という事は、みんな帰り客なの?

 

嫌な予感がした。

つまり、僕と同じ方向に帰るって事?

 

改めて周りを見回す。既に登山客は50人以上いる。

不安になって、駅員さんに確認する。

 

「次の松本行きって何両ですか?」

「え~っと、次は・・・2両ですね。」

やっぱり。

「次って、信濃大町始発じゃないですよね?」

「そうですね。南小谷から来ます。」

 

もっと北から登山客を乗せて来る、たった2両の列車に、

ここで50人以上が乗る。しかも、まだ1時間近く、人が溜まってくる。

 

なんだよぉ。

この旅で1番の嘆きです。

 

一瞬、長野行きのバスでここを脱出しようかと考える。

でも、バスには青春18きっぷは使えない。

別料金を払ったら、僕の負けだ。

 

そして、予想通り、松本までの1時間は地獄だった。

東京に住んでいて、通勤ラッシュの辛さは知っているが、

混雑率は負けていなかったと思う。

 

ただ、通勤と違うのは、多くの人がリュックを持っていること。

そして登山客の多くは仲間で、中には登山を終えて待ち時間に飲んでいること。

 

辛かった。

 

黙ってひたすら、運転席の後ろに立ち続けていたが、

何度酔っ払った登山客の荷物が、僕の頬にギューっと迫った事だろう。

そして、うるさい。どこにそんな力が余っているのか。

 

松本までの1時間が3時間に感じた。

 

長かった。

やっと松本に戻ってきた。

 

あのうるさい登山客は、きっと特急「あずさ」に乗り換えて

新宿へ向かうのだろう。僕は鈍行の旅。ここでお別れだ。

でも、こちらも余裕があるわけでは無い。30分の乗り換え時間で

昼食に立ち食いそばを食べ、お土産を買って、小淵沢行きの普通列車を待つ。

 

ここの駅そばは、僕は日本一だと思っている。

最近は、茹で時間3分の生そば「特上そば」もある。

 

お気に入りは、山菜そばや、野沢菜葉わさびそば。

塩気や辛味と、そばが実に合う。

 

でも、今日は違う気分で、と鴨そばを注文。

初めて食べてみたが・・・思ったほどの感動は無し。

次回からは、いつもの山菜そばにしよう。

 

きっと、さっきの列車の中で僕のセンサーが壊れたのだ。

瞬時にそばの種類を選ぶセンサー。

今まで外れた事は無かったのに。

 

どうでも良い事を考えながら、小淵沢行きに乗り込む。

あれっ?見覚えのある大きなリュックサック。

 

そして聞き覚えのある笑い声。

 

ウソでしょ?

 

慌てて、隣りの車両へ。

さっきの登山客は、同じ列車に乗り継いでいた。

 

まさか。

 

青春18きっぷで登山?!

どれだけ元気なんだ。

 

そもそも、意味が分からない。

そこまで、こっちのテリトリーに侵入されるのは困る。

 

ただ救いだったのは、列車の両数が3両あったこと。

そして、人の数も半分ほどに減っていたこと。

僕も隣りの車両へ移って、座ることが出来た。

 

ほっとしたのか、すぐに寝てしまった。

約24時間ぶりの小淵沢で乗り換え。

 

あとは、高尾行きの普通列車に乗る。

終点まで行けば、ゴールは目前だ。

 

 

雨が降るホームに、折り返しの列車が入ってきた。

中からドッと人が降りる。

 

みんなリュックを持っている。

日本人の登山人口って、すごいんですね。

 

この列車は東京方面から来たので、これから登山に向かう人たちだ。

足早に小海線に乗り換えて行った。

 

ここからの普通列車は6両編成。

ようやく、ゆったりと席を確保できるようになった。

 

そういえば、あのうるさい人たちの姿は無い。

どこかで降りたのか。

 

雨の影響か、少し列車が遅れて着いたようで、

すぐに乗務員が交代して、出発をしようとしている。

 

おもむろに、すぐ上の網棚を見ると、ピンクのDバックが置いてある。

おそらく、ここまで来る時に乗っていた人が忘れたのだろう。

 

一瞬考えて、車掌室に向かう。

ここで降ろさなかったら、列車は再び東京方面に戻るのだ。

 

今だったら、落とし主は、まだ駅にいるかもしれない。

 

車掌室のドアをコンコンとたたく。落し物があるんですけど、と伝えると

中年の車掌さんは「え~?はいはい、分かりました。後でね・・・。」

 

不機嫌そうだった。

凹んだ。

 

相手の気持ちも分かる。車掌さんとしては、遅れている列車を早く出発させたい。

そこに乗客が来た。対応したせいで、30秒くらいはロスしただろう。

 

でも、こちらにも、こちらなりの考えがあっての行動だった。

 

僕の向かいに座っている男性は、黙ってこっちを見ている。

あの人、何でさっき後ろの方へ行ったんだろう・・・という目をしている。

 

出来る事なら、説明したい。

こんな事があって、今僕は凹んでいるんだ、と。

 

そんな事を知らない男性は、ビニール袋の中から小さなボトルを取り出した。

一緒に出した小さなプラスチックのコップに注いで、ちびちび飲んでいる。

 

ワインだ。

 

しかもロングシートの端にある手すりの隙間に、コップを上手く置いて、

つまみのチーズを食べている。

 

プロだ。

間違い無い。

 

青春18きっぷのプロだ。

 

僕はすっかり感心してしまった。

青春18きっぷを使って中央本線を旅する答えを、

今目の前で教えられたような気がした。

 

あ~、出来るなら松本駅に戻ってやり直したい。

そんな事を気付かせてくれた、目の前の人に感謝したい気持ちだった。

結局、列車は落し物を乗せたまま、小淵沢を出た。

1つ目の駅を出たところで、さっきの車掌さんがやってきた。

 

僕が網棚の上を指差すと、

「あ~、これね。誰も言って来なかったら、甲府で降ろしますから。

多いんですよね~。この時期、大きな荷物を置いたまま乗り換えちゃう人。

いや~、助かりました。ありがとうございます!!」

 

車掌さんは、さっきと別人のような笑顔で車掌室へと戻って行った。

 

良かった。

僕の行動は間違いでは無かった。

 

間違っていない事は分かっていたけど、やっと落ち着けた。

 

車掌さんも忙しかったのだ。

そんな中で、温かく対応してくれてありがとう。

 

目の前の男性も「そうだったのか」という表情で、2杯目のワインを注いでいる。

 

 

全てが解決した気がした。

誰にも気付かれずに、勝手にしていた葛藤が納まった気がした。

 

外は雨が降り続いている。

急に睡魔が襲ってきた。我慢なんてしない。

 

ワインを飲んでいるつもりになって、僕は揺れの中で眠りについた。【おわり】