本田靖春「我、拗ね者として生涯を閉ず」(上)(下)
2010年07月01日
好きな番組は何ですか?と聞かれたら、僕は迷わず
『ドキュメンタリー番組や、検証報道番組です。』と答える。
その理由は『番組を通して、頑張っている人の姿を多くの人に伝えられるから』
『メディアという巨大な力が、困っている人の助けになりうる可能性を秘めている分野だから』
そんな僕が以前に読んだ本の中で
『ジャーナリストとしての姿を示した人、その著書』として紹介されたのが、この本である。
読売新聞での社会部記者やニューヨーク特派員などを経て、ノンフィクション作家へ。
そして、タイトルのように自分の死期を悟った筆者による回顧録。
しかし、意外なほどに文面は人間くさい。
機械的な言葉にばかり触れている僕としては(自戒もこめて)次々に読み進める事が出来た。
自分がジャーナリストとして何を伝えたいのか。
そして、何を伝えるべきか。
その意志を貫こうとすると、引っ切りなしに衝突が起こる。
それでも生涯をかけて『拗ね者』であり続けた姿は、驚きでもあり、うらやましくも感じた。
そして、その中には思いを同じくした記者たちの話も登場する。
中でも僕が興味を持ったのは、多発する交通事故の問題を多角的な視点から取り上げ
『交通戦争』と名付けたキャンペーン。
事件の犯人をいち早く伝えるためのスクープ合戦ではなく、
普段のニュースの中で見逃されがちな部分に目を向けて現代の問題を浮き彫りし、
解決に向かうための『スクープ』が成功した例だ。
組織という軋轢の中で、上司に跳ね返され続けた企画の原稿を何度も作り直し、
やがて新聞全体の巨大プロジェクトとして進んでいく様は、読んでいて胸のすく思いがする。
そして、この仕事をやり遂げた同期の記者に、筆者は
『私は心から敬服するとともに、自分を恥じた』と、率直な思いを書いている。
また、今の献血システムが出来る大きなきっかけになった、
『売血』の問題を取り上げた『渾身の「黄色い血」キャンペーン』。
売血の実態を知らせ、献血制度確率の急務を訴えた。
筆者は取材のために山谷に長期間住み、自らも売血を行った結果、
注射針の使いまわしでC型肝炎に感染、それはやがて肝硬変から肝がんへとなった。
ジャーナリストとしての使命感が世の中を動かすまでの壮大な物語である。
ジャーナリストとは、ジャーナリズムとは・・・これからの自分がもっと意識すべき事、
見据えるべき事を衝いている本である。
次のこの本を読む時、僕は少しでも近付いていられるだろうか・・・。