また1冊、新しい本を読み終えました。

 

タイトルは「ジャーナリズムの条件・職業としてのジャーナリスト」

そのタイトルと、「責任編集・筑紫哲也」との名前を見つけて

本屋さんで予約していたものです。

 

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「ジャーナリスト」という言葉、それに当てはまる人は多くの世界にいます。

その中で、ニュースに向き合い、真相を求めて取材すること。

その中で得たこと、そしてジャーナリストに求められるものとは何かを

筑紫さんを含めて20人以上の人が記しています。

 

最後まで読んでみて、全ての人の意見に共感できたわけでは

決してありませんでした。多くのページでは、それぞれが遭遇した取材の過程で

権力などの「壁」にどのように対処したのか、あるいは

そこで何を感じたかが書かれ、問題点を提示しています。

 

でも、その中には、自らの軸となる考えが、それぞれにしっかりと述べられていて、

それこそがジャーナリズムの道を歩き続けるために必要な事なのだろうと思いました。

 

そして、その一方で自問自答を繰り返すのも

またジャーナリストという仕事なのかな、とも。

僕は自分なりにジャーナリズムについて語れるほどの経験も無く、また知識も乏しい。

そこで文中で僕が特に印象に残った

ある方の文章を、少し長いですが紹介します。

 

『これまで取材で出会った人びとの、さまざまな声・言葉・表情・姿が、

生きている人のも、死んでいった人のも、記憶のなかに積もり重なって

地層のようになっているのを感じる。その中に流れる水脈の意味と

問いかけを考えつづけ、大切にしてゆきたいと願っている。

ただ、振り返って考えれば考えるほど、あのとき自分が口にした言葉や見せた態度は、

人と事実に対する向き合い方は、あれでよかったのだろうかと、

頭を抱えたくなることが多いのも事実である。

ともかく、反芻(はんすう)する、自問自答を繰り返すプロセス、

答えも終わりもないそのプロセスのなかに、

ジャーナリストとしての拠りどころも原点もある』