ついにこの日がやってきました。

亡くなった筑紫哲也さんのお別れの会が東京のホテルであり、僕も行ってきました。

午後2時の入場開始という事で、

とちぎテレビ『朝生とちぎ』の生放送を終えて昼前に東京へ。

会の開始30分ほど前に会場に着いたのですが、

幸運にも最前列で会場に入ることが出来ました。

 

入った会場の前方には大きな祭壇が。多くの著書でも使われた

筑紫さんの笑顔の写真や朝日新聞入社当時の写真など、3枚の写真が飾られ、

その前で筑紫さんに感謝の気持ちを伝えました。

会場を囲む多くのテレビカメラに、筑紫さんの功績の大きさを感じると共に、

筑紫さんの人柄を感じる事がありました。献花の説明をする司会者の方を見ると

そこには「NEWS23」で筑紫さんと共にキャスターを務めた佐古忠彦さん。

他にも草野満代さんや、NEWS23を支えた

歴代のプロデューサー・ディレクターさんがまるで同窓会のように勢揃いし、

会場の設営をされていたんです。

きっと筑紫さんも喜んでいるんだろうな、と思いました。

 

献花を終えた私たちは、隣の会場へ。そこは、筑紫さんの

これまでの歩みを知る事が出来る

ちょっとしたミュージアムのようになっていました。

 

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暗いニュースや難しい話題も多い中でも、筑紫さんの伝えるニュースは

筑紫さんの意図がはっきりと伝わると同時に、どうやったら分かりやすくなるか、

そして、「テレビを楽しんだ」とも言われる、斬新なアイデアの宝庫でした。

写真を見ていると、その様々な場面が思い出されます。

 

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そして、放送以外の場の筑紫さんの写真も数多く飾られていました。

肺ガンになるまではヘビースモーカーでもあった筑紫さん。

そのほか、豪華なゲストの方との思い出の1枚や、スタッフの忘年会での写真など、

筑紫さんの表裏の無い人柄が、充分に分かりました。

 

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そして、筑紫さんとNEWS23を語る上で欠かせないのが、90秒間、

VTR無しで展開されたコラム「多事争論」。その中で使われた多くの

タイトルボードが飾られ、僕も思わず足を止めて見入ってしまいました。

 

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そのほか、15年以上に渡る「多事争論」の中から、特に印象的だった場面を

6つの時期に分けて、計70本近くビデオ上映していました。すると、

もう10年以上も前に放送された話なのに、その時の筑紫さんの話は

今の日本の現状を見事に言い当てているのです。そのブレない視点に

改めて驚かされます。

 

そして、下の写真はスタジオでの「多事争論」の最終回。

映像と共に、右下にはその際の実際の下書き原稿が貼られていました。

ほとんどが原稿も無く、理路整然としてニュースを読み解き続けた「多事争論」

僕も1つを見るごとに、その時期を思い出すことができ、気が付けば

1時間以上見続けていました。振り返ってみると、NEWS23が始まった頃、

僕はまだ小学生でした。そして僕が中学生の頃に「多事争論」がスタート。

そんな事を考えながら、改めて筑紫さんの言葉に耳を傾けてみると、

とても難しい話題を、本当にかみ砕いて話されていた事が分かります。

「あ〜、このニュースの本質はこういう意味なんだ。

思ったよりも複雑な事では無いんだ。」その的確で分かりやすい解説は

蓄積された経験と「現場主義」が成すものなんでしょうね。

 

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また、会場には、筑紫さんの歩みと名場面をスクリーンで紹介するほか、

「筑紫さんへの多事争論」と題された記帳台も用意されました。

僕は、ただただ感謝の言葉を書かせて頂きました。

 

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この日の一般の受付は午後2時〜4時までの2時間。僕はほぼ丸々2時間を

会場で過ごしました。それだけ、筑紫さんが遺したものを目に焼き付け、

そして理解したいという思いからです。そして会場には、最後まで

人の列が耐えませんでした。

 

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こちらは、会場を出る際に配られたメッセージカード。

まさに「多事争論」を訴え続け、「権力にチェックの目を向けることの重要性」

「少数派を恐れないこと」などを訴えた筑紫さん。我々の世代が

筑紫さんのジャーナリズム精神を、しっかりと受け継いでいかなくては、と

強く感じた1日でした。今日の会の名前は「お別れの会」でしたが、

まだまだ私たちの中では、筑紫さんが活躍する場が多くあるはずです。