筑紫哲也さんお別れの会
2008年12月19日
ついにこの日がやってきました。
亡くなった筑紫哲也さんのお別れの会が東京のホテルであり、僕も行ってきました。
午後2時の入場開始という事で、
とちぎテレビ『朝生とちぎ』の生放送を終えて昼前に東京へ。
会の開始30分ほど前に会場に着いたのですが、
幸運にも最前列で会場に入ることが出来ました。
入った会場の前方には大きな祭壇が。多くの著書でも使われた
筑紫さんの笑顔の写真や朝日新聞入社当時の写真など、3枚の写真が飾られ、
その前で筑紫さんに感謝の気持ちを伝えました。
会場を囲む多くのテレビカメラに、筑紫さんの功績の大きさを感じると共に、
筑紫さんの人柄を感じる事がありました。献花の説明をする司会者の方を見ると
そこには「NEWS23」で筑紫さんと共にキャスターを務めた佐古忠彦さん。
他にも草野満代さんや、NEWS23を支えた
歴代のプロデューサー・ディレクターさんがまるで同窓会のように勢揃いし、
会場の設営をされていたんです。
きっと筑紫さんも喜んでいるんだろうな、と思いました。
献花を終えた私たちは、隣の会場へ。そこは、筑紫さんの
これまでの歩みを知る事が出来る
ちょっとしたミュージアムのようになっていました。
暗いニュースや難しい話題も多い中でも、筑紫さんの伝えるニュースは
筑紫さんの意図がはっきりと伝わると同時に、どうやったら分かりやすくなるか、
そして、「テレビを楽しんだ」とも言われる、斬新なアイデアの宝庫でした。
写真を見ていると、その様々な場面が思い出されます。
そして、放送以外の場の筑紫さんの写真も数多く飾られていました。
肺ガンになるまではヘビースモーカーでもあった筑紫さん。
そのほか、豪華なゲストの方との思い出の1枚や、スタッフの忘年会での写真など、
筑紫さんの表裏の無い人柄が、充分に分かりました。
そして、筑紫さんとNEWS23を語る上で欠かせないのが、90秒間、
VTR無しで展開されたコラム「多事争論」。その中で使われた多くの
タイトルボードが飾られ、僕も思わず足を止めて見入ってしまいました。
そのほか、15年以上に渡る「多事争論」の中から、特に印象的だった場面を
6つの時期に分けて、計70本近くビデオ上映していました。すると、
もう10年以上も前に放送された話なのに、その時の筑紫さんの話は
今の日本の現状を見事に言い当てているのです。そのブレない視点に
改めて驚かされます。
そして、下の写真はスタジオでの「多事争論」の最終回。
映像と共に、右下にはその際の実際の下書き原稿が貼られていました。
ほとんどが原稿も無く、理路整然としてニュースを読み解き続けた「多事争論」
僕も1つを見るごとに、その時期を思い出すことができ、気が付けば
1時間以上見続けていました。振り返ってみると、NEWS23が始まった頃、
僕はまだ小学生でした。そして僕が中学生の頃に「多事争論」がスタート。
そんな事を考えながら、改めて筑紫さんの言葉に耳を傾けてみると、
とても難しい話題を、本当にかみ砕いて話されていた事が分かります。
「あ〜、このニュースの本質はこういう意味なんだ。
思ったよりも複雑な事では無いんだ。」その的確で分かりやすい解説は
蓄積された経験と「現場主義」が成すものなんでしょうね。
また、会場には、筑紫さんの歩みと名場面をスクリーンで紹介するほか、
「筑紫さんへの多事争論」と題された記帳台も用意されました。
僕は、ただただ感謝の言葉を書かせて頂きました。
この日の一般の受付は午後2時〜4時までの2時間。僕はほぼ丸々2時間を
会場で過ごしました。それだけ、筑紫さんが遺したものを目に焼き付け、
そして理解したいという思いからです。そして会場には、最後まで
人の列が耐えませんでした。
こちらは、会場を出る際に配られたメッセージカード。
まさに「多事争論」を訴え続け、「権力にチェックの目を向けることの重要性」
「少数派を恐れないこと」などを訴えた筑紫さん。我々の世代が
筑紫さんのジャーナリズム精神を、しっかりと受け継いでいかなくては、と
強く感じた1日でした。今日の会の名前は「お別れの会」でしたが、
まだまだ私たちの中では、筑紫さんが活躍する場が多くあるはずです。